君たちの生き方を問う映画や書籍に疑問を感じる。
他人に聞いてそうなれるわけではない。
ぽぬは「一生勉強、一緒青春」と言っているが、いまは学び直しに専念している。
それは自分の価値を上げる。商品としての魅力を上げることだ。
死ぬ間際まで、あの人が生きていれば相談できたのに。とか、あの人ならどうするだろうとか、記憶に残りたいし、現世でもできればそう思われたい。
それは身体が商品の個人事業主に限らない。
試験の勉強にしてもそうだ。
中高の英語学習やアルゴリズム教育を小学生から受け、大学入試にアルゴリズムが必須となった現代では、過去はなんら役に立たない。
中学英語では挨拶すらできない。
奨学金をもらって大学に行って寝てるやつ居るだろ?
もし外国を真似て学費が無償化されたら追い出されるに違いない。
寝るやつに金など払わないし卒業もできない。
即退学になるだろう。
もう知ってるだろう?英語圏で5歳児にもなれば意思疎通が出来る。教育は関係ない。インドの公用語がヒンドゥー語じゃないのは生活の上で特に多様性の高い国で苦労するからだ。
では、自分が今、最近の言語でのアルゴリズムやコーディングを学んでいるのは、需要があるからだ。
少しだけ晒すとこんな講師のニーズが求められているからだ。
必要とされないならやらない。
しかし、人として必要と感じてもらいたいし、期待に応えたい。
ここには詳しくは書けないが、自動的に振り込まれる給料や社食の非難は、いずれできなくなる。
さて、君たちは定年後どう生きるか。